「多面的な」目、「ひと目見る」目

こんにちは、アントレにようこそ。

タロット・カードをじっくり見ていると、シンボルが気になることがあります。

「この線はどうしてはみ出ているんだろう」とか「この形は妙だな」とか。

今回は『神の家』で気になったことです。

少々見にくいかも知れないんですが、描かれている二人の目の様子が随分と違うのです。

左側の人はかわいらしい大きな目をしています。

右側の人の目はやや小さくて、通常は白目であるはずの部分が肉色で描かれています。

(挿絵では詳細に描いていませんので、カードをお持ちじゃない方はリンクで確かめてください。)

カモワン・タロットスクール公式サイトのタロット画像

似たようなシンボルに異なる描き方をされている部分があれば、そこには二元性が表現されています。

そこで「目」に関するフランス語を調べていくと、<ア・ウィユ・ニュ>という言葉があります。

<ア>は前置詞、<ウィユ>は目、<ニュ>は裸という意味で、<ア・ウィユ・ニュ>は「①肉眼で②ひと目で」という意味になります。

肉色の目なので「肉眼で」に繋がるのは分かるのですが、それよりも「ひと目で分かる」のような意味に繋がるところがポイントのようです。

もう一方の大きな目について、前者と二元性をもつことになりそうな表現をフランス語の中に見つけていくと――

昆虫などの「複眼」を意味する<ウィユ・ア・ファセット>という言葉が見つかりました。

<ファセット>は、「切り子の面」や「多面体の面」を表わす言葉で、<フェイス>に縮小辞の<-エット>がついたものです。

<ア・ファセット>だけなら「多面からなる、多面的な」という意味になるようです。

左側の人の頬の線は3重に描かれています。

この3本の線は、陰影の表現とは異なっています。

<フェイス>の線を数多く描くことで<ファセット>(=多面的な様子)を表現していると推測できます。

こういうことから、左側の人の「大きな目」は、この人の「多面的な見方」「観る力の大きさ」を表現しているのかも知れません。

右側の人の「ひと目で」は「ひとめぼれ」や「見た目レベルの観察力」を表現しているのかも知れません。

目の表現の違いの中に二元性が成り立っているようです。

<ウィユ・ア・ファセット>は元来、「複眼」という意味で、「複眼」は昆虫などが有する眼の構造です。

以前、『神の家』の左側の人について、背中の空色の部分を昆虫の背板と解釈でき、その中に羽根が内蔵されているのではという記事を書きました。

昆虫関連のキーワードが再び出てきたことになります。

何か意味ありげですね。

天上界のカードには人間以外の生き物が結構描かれています。

天上界を目指す人間にとって、人間以外の生き物の在り方というのは参考になるものなのかも知れません。

シンボルをあれこれ調べてまわるタロット探索の旅は面白いものです☆

ソフィア

『愚者』☆真実の心の誠実に生きる

こんにちは、アントレにようこそ。

今回はタロットの代表的なカードである『愚者』について。

『愚者』という名前は表面的なもので、実は『巡礼者』というのがこのカードの本質です。

『愚者』というのはこのカードが逆向きの場合は「くよくよして前向きになれない状態」であることから、賢明な答えが出せないので該当します。

このカードの人物を愚かと捉えるのは、損得勘定などにはまってしまった視点からの場合です。

『愚者』は愚直と言われるほど、「自分の真実の心」に誠実に生きるカードです。

求道のために私財を捨てたアッシジの聖フランシスコや聖ロックのような人の生き方が、自分の理解を超えるものであるがゆえに、世の中はそれを「愚か」と呼ぶんですね。

この人の担う荷物の棒はスプーンのように見えます。

錬金術の道具のひとつです。

スプーンはすくったり、かき回したりします。

『愚者』は個々の人のもつ思い込み・既成概念をかき回すトリックスター的な存在です。

「その常識の枠に囚われていてもいいの?」と『愚者』は問いかけます。

歩んで行く人生の旅そのものが『愚者』の錬金術的実験の場なのです。

『愚者』は星がある方向である上を見ています。

星は目標であり、輝き・光です。

陽子と電子をぶつけて光子を発生させるように、錬金術的実験で、陰と陽、二元性をぶつけて明るい視点を生じさせます。

例えば、「外交的」「内向的」の二元があったら、その片方に偏るのではなく、両方を自分のるつぼで融合させて、新たな視点を得る実験ができるのです。

『愚者』の旅は、まとっているスカーフのギザギザのように山あり谷ありですが、一歩一歩を大切に歩んでいます。

腰の辺りには空色の犬がついて来ています。

これは守護存在です。

『愚者』が見つめる方向を見失わないように、もし見失っても、またもう一度それを見出せるように、空色の犬は旅の全行程に随行しているのです。

わたしたちの全てが『愚者』です。

「自分の真実の心」を指針にして、まっすぐに生きていくと、旅の終わりに、全てが見晴らせる小高い場所にたどり着くことができます。

そのためのコンパスとナビゲーターはいつもわたしたちに与えられているようです。

ソフィア

激しいパワー☆『神の家』のエネルギー

アントレにようこそ。

タロット人生を深めていますか。

タロットには家などの構造物が描かれたカードが数枚あります。

中でも、ⅩⅥ(16)『神の家』は建物が大きく描かれていて、象徴が多く、観察しがいのある面白いカードです。

また正立や解決カードの場合と問題カードの場合が極端に違う興味深いカードです。

正立の場合は問題ないのですが、逆向きだと「大惨事」を伝えている場合があります。

それは英米系タロットで塔のカードが恐ろしげに描かれているのとは異なった理由です。

なぜなら、神からの王冠が降りてきて、花火が上がり、周りの人が喜び跳ね回っているめでたい様子が元型だからです。

ひとつ前のⅩⅤ(15)『悪魔』の試練を通り抜けて、ここに到着できたことの祝賀会のような場面です。

そういう祝賀会の様子を表わしたカードが、逆向きの場合は一転して「大惨事」を表わすことがあります。

カードをじっくり観察すると、そのことを表わす象徴が見つかります。

建物の正面玄関のドアのところを見てください。

(カードをお持ちでない方は下記のリンクからカモワン・タロットの画像がご覧になれます)

カモワン・タロットスクール公式サイトのタロット画像

空色の柱とカーブした部分で「片持ち梁(はり)」になっているのが分かります。

建物のラインで見ると右下の空色は背景の空色の部分に属しており、右側に梁は見当たりません。

梁は本来、左右に支柱があって安定構造になりますが、片持ち梁の安定性は両持ちの梁ほどありません。

「一定のバランス」をもって安定している状態です。

ですから、問題カードの状態の場合にはガラガラっと崩れることになるのです。

「片持ち梁」はフランス語では<porte-a-faux:ポルトゥ・ア・フォ>です。

<faux>には「模造品」の意味があります。

「模造品」という意味合いに「両持ちの梁」に比べて安定性が低いことが表わされているのでしょう。

「なんちゃって梁」みたいな意味合いかも知れませんね。

フランス文化では言葉遊びの感覚が豊かです。

日本も伝統的に言葉遊びがあるから分かりますね。

小倉百人一首の小式部内侍の和歌を例にあげると

「大江山いく野の道の遠ければ まだふみもみず天の橋立」

「行く野」と「生野」、「文」と「踏み」が掛け詞になっていて見事です。

(母親に代作を頼んでいるとからかわれた小式部内侍が相手に切り返して読んだ和歌です。)

それと同じように、別の言葉の<faux>には「鎌」の意味があります。

「鎌」と言えば『名前のないⅩⅢ』ですね。

『神の家』の戸口と『ⅩⅢ』の鎌を照らし合わせると、まっすぐな部分とカーブした部分、「柱」と「梁」、「長柄」と「刃」で構成されているのが分かります。

『ⅩⅢ』の鎌のような浄化力が『神の家』の片持ち梁に隠されているということです。

それは以前のブログに書いた『「赤道祭」の境界線の洗礼』に書いたようなパワーです。

古くなって用を果たしてしまったサブ・パーソナリティの部分を手放させる浄化力と言えます。

とても興味深いですね。

とは言え、「友達を家に呼ぶといいですか?」等の通常の質問にも、家が散らかっているだけで逆向きにもなりえます。

ハッピーな祝賀会から、通常の家の様子、さらには激しい試練の様子までを表わす『神の家』。

知れば知るほど奥の深いカードです。

ソフィア

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