『運命の輪』と「輪廻の輪」☆シンボル

こんにちは、カモワン福岡のブログへ、ようこそ。

タロットを学び始めた頃にとても興味をひかれたのが『運命の輪』でした。

水色の面の上にからくり仕掛けのような器械があります。

器械そのものは、船の舵輪や糸車や回り車、福引のくじの器械のような雰囲気です。

輪の上のところには人間の顔と獣の身体と翼をもった存在がいます。

輪の左右には、下がっていっている肉色の動物と上がっていっている黄色の動物がいます。

輪の上の奇妙な存在はスフィンクスだと言われています。

冠を被り、二股になった手(前足)で剣を抱えています。

そうそうお目にかかることのないような不思議な生きもののようです。

運命の輪のクランクは突然に回ることがあり、それを回すのは運命の女神されています。

運命の輪という考え方はヨーロッパに古くから伝わるもののようです。

タロットの『運命の輪』は運命を司るものでありながら、輪廻転生も司っているといわれています。

このカードに似ているものがチベット仏教にあります。

輪廻の輪が描かれた六道輪廻の図です。

(Wikipediaからお借りしました。)

最も外の輪は12に分かれ、人生の苦悩の縁起が描かれているようです。(十二因縁)

6つに分かれた部分は、天道、人間道、阿修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道という存在領域が描かれています。

その内側の2つに分かれた部分には、善行によって天道に上がる様子、悪行によって地獄道に落ちる様子が描かれているようです。

上がる様子、下がる様子が描かれているあたりは『運命の輪』の知恵と繋がっています。

ただ、真ん中のところには、無明、貪欲、悪意を象徴するブタ、ニワトリ、ヘビが輪を回転させる原因として描かれているあたりは異なるようです。(三毒)

そしてスフィンクスのいたあたりに顔が描かれているのが、キルティムッカという聖獣です。

他のサイトから拝借した文章でご紹介すると

「サンスクリットのキールティムカとは、キールティ=誉れ高き、ムカ=顔である。
その意味は威信・栄誉・畏怖すべきもの、である。
すなわち神の使者であり、守護者を表している。」

ということです。

シヴァ神が聖獣にこの誉れ高い名前を付けるエピソードがあります。

シヴァ神の神殿や仏教寺院の正門に配されているポピュラーな聖獣のようです。

スフィンクスは世界各地にありますが、日本においては狛犬や鬼瓦などとして伝わっていて、やはり領域を守護する存在です。

同じ役割をもつもの、あるいは同じ根源をもつもののようです。

このように見ていくと、タロットには世界各地に伝わった智慧の源流からの象徴が入っていると言えるようです。

『運命の輪』も運命の女神の司る輪としてだけではなく、キルティムッカが領域を守る輪として見てみると、シンボルが保持できる智慧に深みや広がりが出てくるのではないでしょうか。

タロットには豊かな叡智が組み込まれています。

ソフィア

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カルメンとドン・ホセ☆人は自分の気持ちに忠実でなければならない

こんにちは、カモワン福岡のブログへ、ようこそ。

今回は『恋人』のカードを取り上げましょう。
 
 
『恋人』は愛情がテーマのひとつになっています。

人間界と呼ばれる1の「手品師」から7の「戦車」の内で、唯一天使が描かれているカードです。

天使が描かれているということはやはり特別な意味があります。

天のエネルギーが出現しているのですから。

愛というのは特別なものです。

愛における選択は人生の中で重要なものです。

だからこそ天は使いを送って、その選択に助けを送るのですが、迷いがあるのが人間でもあります。
 
 
真ん中の人物に両脇の人物が誘いをかけています。

肩を触った手で「味方になるから。スポンサーになるから」と誘っているのかも知れません。

あるいは地面を指した手で「現実的に選んで。現金な選択を」とそそのかしているのかも知れません。

胸に当てた手で「愛が大切でしょ」と問いただしているのかも知れません。

または「わたしたちは一心同体よ」と確認を取っているのでしょうか。
 
 
いずれにしても真ん中の人物はこの局面で自分の選択をする必要があります。

どの手からの誘いに対しても、腹を括っていく必要があるのです。

自分にとっての真実を自分自身に聞く必要があるのです。
 
 
例えばカルメンに恋したドン・ホセの場合、一体どの選択がよかったのか。

(カルメンのあらすじはwikipediaにあります。)

ドン・ホセにとって、カルメンは身を滅ぼす選択をさせる存在でした。

しかしながらホセの情熱を燃やし尽くす相手でもあったのでしょう。

一方で、カルメンはドン・ホセに「復縁しなければ殺す」と脅されます。

これは「僕たち一心胴体でしょ?じゃないのなら生きる意味がない」という破れかぶれの共感の誘いです。

脅されても復縁しなかったのは、カルメンが自分の感情における選択に正直だったからだと言えるのでしょう。

客観的に見れば「おいおい」と言いたくなるホセやカルメンの行動ですが、本人にとっての後悔のない選択は本人にしか分かりません。
 
 
『恋人』のカードは自分の感情を大切する局面での秘訣を教えてくれます。

真ん中の人物はお腹のベルトを握って、自分の腹を決める姿を表わしています。

赤いローブの人から、現世的な、現金な誘惑を受けることに対して注意深く腹を括ります。

さらに青いローブの人から、一心同体という共感の誘惑に対しても注意深くしているのです。
 
 
日本人は共感性が高い人が多い民族だと言われています。

そのことにはいい部分も多いのですが、他人の思いに巻き込まれやすいことを自覚し注意することは大切なようです。

そうすれば、自分を裏切ることなく、他者にも思いやりをもてる人生の選択ができていくのでしょう。

カルメンという女性を伝える「ハバネラ」をリンクしておきます。

カルメン カルメンの「ハバネラ」

ドン・ホセの心情を歌った「花の歌」がありますので、聞いてみてください。

カルメン ドン・ホセの「花の歌」
 
 
ソフィア

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緑の礼拝堂へのイニシエーション☆アーサー王と円卓の騎士(2)

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こんにちは。カモワン福岡のブログへ、ようこそ。

前回に続き、アーサー王の円卓の騎士のひとりであるガウェイン卿が緑の騎士と対決するエピソードをフィールドにします。

ストーリーは前回のブログをご参照ください。

ガウェインと緑の騎士☆アーサー王と円卓の騎士(1)

今回はシンボルを検討していきます。
 
 
エピソードは、アーサー王の宮廷に乗り込んだ緑の騎士がアーサー王の騎士たちに首を切り落とし合うことを提案するところから始まります。

そして大きな斧を使っています。

一方で、『ⅩⅢ』には大きな鎌が描かれており、黒い土のところには頭が2つが描かれています。

(挿絵は『ⅩⅢ』)

両方とも、大きな刃物が出てくる試練という共通点があります。

緑の騎士のように頭が切り落とされ、再生するというのは、古い思考パターンを壊し、新しい考え方をするという意味です。

ⅩⅢにも同じ様な意味があります。
 
 
試練というもの全てに同様の作用があるようです。

秘密結社には「一人だけで死体と一晩過ごす」という入会儀礼を課すところがあるらしいのですが、それも同様な意味があるようです。

それは経験していない者には恐ろしいことですが、通り抜けた者にとっては、過去の自分とは一線を画した新たな自分になったと思える試練です。

試練は克服した者には自信の基になり、祝福となります。

だからこそ、タロットでも『ⅩⅢ』の次では祝福を思わせる大きな天使に出会うのです。
 
 
次は狩人の妻の誘惑を見ていきましょう。

ガウェインを誘惑したときのアイテムであるガーターは靴下やタイツ、ストッキングを繋ぎ留める道具です。

『悪魔』のカードでも、ロープという繋ぎ留めるアイテムが出てきて、やはり共通点があります。

繋ぎ留める道具という意味の「アタッチメント(attachment)」という言葉は「執着」という意味でもあります。

執着をテストされている試練です。

ここでは性的欲求、あるいは生存欲求の試練ということになります。
 
 
次は交換する約束をした獲物についてみていきましょう。

1日目はたくさんの獲物が出てきました。

狩人の獲物といえば動物であり、動物は獣性を象徴します。

それが2日目は前日の半分になり、3日目はみすぼらしい狐1匹になりました。

みすぼらしいということは小さいということを表わしています。

狐という象徴を使って、計算高さ・狡猾さという獣性であることを伝えています。

ガーターを渡さないガウェインの小さな狡さが「みすぼらしい狐1匹」ですでに予告されているのです。

とは言え、度重なる誘惑の試練を前にしてもガウェイン卿は欲望を「たくさん」の獣性の状態から「みすぼらしい」獣性の状態にまで減少させています。
 
 
獲物の数に反比例して、キスは回数が増えていきます。

それは性的なニュアンスのないキスであり、誘惑を退けたガウェインに対する祝福を象徴したものとして描かれているのかも知れません。

(挿絵は大きな天使の描かれた『節制』)
 
 
物語の最終場面は緑の礼拝堂であり、神を拝むところです。

タロットの方でも大きな刃物のⅩⅢ(13)に始まり、大きな天使の「節制」(14)、「悪魔」(15)と並んで、やはり最後に「神の家」(16)になります。

神を拝む礼拝堂と同じように、このカードでは2人の人物が建物の前で頭を低くしている様子が見受けられます。
 
 
さて、ガウェイン卿は緑の騎士の試練にパスしたでしょうか。

少し首の皮を切られ、「ガーターの分だ」という言葉があったところを見れば、おまけでの合格と見るのが妥当そうです。

緑の騎士が首が切られても死ななかった様子を見ると、緑の騎士は生身の人間ではなかったと考えられます。

緑、すなわち植物を司る神が化身した存在だったのかも知れません。

そう考えると、神なる存在が人間の小さな執着を多めに見るのは納得いきます。

あるいは神の刃物によって少し切られ、執着を指摘されたことが、ガウェイン卿にとっては追加の通過儀礼になった可能性もあります。

アンフェアなことはするまい、新たな自分に生まれ変わろうという誓いを礼拝堂で行ったかも知れません。

それまでも騎士道精神に則って清廉に生きてきた騎士だからこそ与えられた「危機を伴う再生の機会」という祝福だったのでしょう。
 
 
普遍的な教えは伝説、神話、神秘のツールを通して、それを求める者に伝えられます。

玉石混交の傾向はありますが、伝説や神話の探求は神秘の智慧に結びつきます。

タロットと古来からの逸話を照らし合わせるのはとても興味深くギフトとなるワークです。
 
 
 
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