ガウェインと緑の騎士☆アーサー王と円卓の騎士(1)

こんにちは、カモワン福岡のブログへ、ようこそ。

神話は神聖なものが伝えられる話です。

マルセイユ・タロットも神聖なものが描かれたカードです。

その両方に共通するものがあったら、そこには普遍的なものが含まれている可能性が高いと見なせます。

今回は、神話学者のジョーゼフ・キャンベルさんの『神話の力』を通して、アーサー王の円卓の騎士の話に普遍的なものを探求していきます。

アーサー王の甥であるガウェイン卿が緑の騎士と対決するお話です。

アーサー王は時代や地域がはっきりせず、実在したかも明確になっていませんが、アーサー王伝説はヨーロッパの文化に大きな影響を与えています。

☆ ☆ ☆

ある日、アーサー王の宮廷に、髪も身体もよろいも馬も緑色の騎士がやってきてこう言いました。

「自分の首を切り落とすものはいないか。そして一年後に緑の礼拝堂に来るがよい。次はわたしがその者の首を切り落とす。」


(挿絵はWikipediaから)

ガウェイン卿以外にはその問いかけに応じる勇気のある者は誰もいませんでした。

ガウェインが緑の騎士の首を切り落とすと、緑の騎士は自分の首を拾い上げ「一年後に会おう」と言って立ち去りました。

日々は過ぎて、約束の日に近くなり、ガウェインは緑の礼拝堂を求めて旅立ちました。

約束の3日前、狩人夫婦に出会いました。

狩人は「緑の礼拝堂はすぐ近くだから、3日後の約束の日まで自分の家で過ごしませんか」と誘い、ガウェインはその申し出を受けました。

狩人は、自分が狩で獲って来た獲物をガウェインに進呈するので、代わりにガウェインが手に入れたものを自分にくれるよう提案し、ガウェインはその申し出も受けました。

狩人が出かけると狩人の美しい妻がガウェインを誘惑しますが、気高いアーサー王の宮廷の騎士であるガウェインはそれを退けます。

妻はせめてキスをさせてくださいと言って、ガウェインにキスしました。

夕方、帰ってきた狩人がたくさんの獲物を差し出します。

ガウェインは狩人に1回キスをしました。

次の日も同じようなことが起こり、狩人の妻はガウェインを再び誘惑し、キスを2回します。

帰ってきた狩人は前日の半分くらいの獲物をガウェインに差し出します。

ガウェインは狩人に2回キスをしました。

さらに3日目も狩人の妻はガウェインを誘惑しました。

ガウェインにとっては次の日に死が待っており、肉体の誘惑に身を任せる最後の機会です。

しかし今度もガウェインは誘惑を退けました。

狩人の妻はガウェインに3回キスをし、「これはあなたをどんな危険からも守ってくれます」と言って、靴下を留めるガーターを渡しました。

夕方、狩人が帰って来ると獲物はみすぼらしい狐1匹でした。

ガウェインは狩人に3回キスをしましたが、ガーターは渡しませんでした。

そしてその翌日、ついに約束の緑の礼拝堂に赴く日が来ました。

礼拝堂では緑の騎士が大きな斧を研ぎながら待っていました。

緑の騎士はガウェインに首を前に出し、台の上に突き出すように指示します。

緑の騎士は斧を2回寸止めにしますが、3回目斧は音を立てて振り下ろされました。

首の皮を少しだけ切り「これはガーターの分だ」と緑の騎士が言い、小さな過ちを戒めました。

緑の騎士は狩人は自分だったことや妻による誘惑はガウェインを試す罠であったことを明かします。

こうしてガウェインは何とか試練を乗り越え、帰りの途につきました。

アーサー王の宮廷ではガウェインの帰還が称賛をもって迎え入れられました。

☆ ☆ ☆

ガウェインはガーターの誘惑に完全には勝てなかったけれども、肉欲そのものと生命の危機の恐怖という2つの試練を克服し、だからこそ緑の騎士はガウェインを救ったのだとキャンベルさんは解説しています。

生命は死と隣り合わせです。

そして人間が至福を感じられるのは欲望や恐怖を克服したときなのだとも言っています。
 
 
そのことに該当するプロセスがタロット・カードの中にも見当たります。

『名前のないⅩⅢ(13)』には、骸骨のような人物が大鎌を振るい、黒い土の中にバラバラになった頭や手足が描かれています。

恐ろしげなⅩⅢは、まるで緑の騎士のように危機感を与えます。
 
 
そして『悪魔』というカードでは、性器を丸出しにして君臨する悪魔が下の2人を誘惑しています。

ロープはゆるくしか結ばれていないので、2人は無理やりではなく自分の意志で留まっているようです。

(挿絵は『悪魔』)

欲望や執着を刺激して誘惑しているというところが狩人の妻と同様ですね。

ガウェインはガーターにフェティッシュな欲望を刺激されたのでしょうか、あるいは「危険から」守ってくれるということに執着したのでしょうか。

騎士であるガウェインにとっては、もてなしてくれた家の主人である狩人との約束を守ることも大切ですが、一方で、騎士道精神では貴婦人への献身などが徳目とされているので、女主人を大切にすることも遵守しなければならないのです。
 
 
『名前のないⅩⅢ(13)』と『悪魔』の両方を照らし合わせると、共通して描かれているのが黒い土です。

恐れや欲望・執着が潜んでいる場所である潜在意識を表わしているのかも知れません。

ⅩⅢ(13)の背中には麦のような象徴があります。

土に麦の種が落ちれば、それは芽を吹き、再生していきます。

緑の騎士が緑であるのは植物を暗示します。

緑の騎士が首を切り落としても死ななかったのも、植物の切っても再生する性質を示しているのでしょう。

恐れに立ち向かい、克服すれば、死の恐怖を克服したものとして再生するということです。

また誘惑を退けて通過すれば、誘惑に打ち克った者としての祝福があるということです。

これは死への恐怖、肉欲への執着だけに限らず、あらゆる恐怖、あらゆる執着について言えることです。
 
 
『名前のないⅩⅢ(13)』の次のカードである『節制』には、大きな癒しの天使が描かれています。

恐ろしげなところを通った後には癒しに出会います。

『悪魔』の次のカードである『神の家』には、その名の通り、神の宿る建物が描かれてます。

緑の騎士にガーターを渡さなかった不誠実さを戒められたことによってガウェインはより誠実になろうとする気づきを得たと言えるかも知れません。

(挿絵は『神の家』)

執着を克服した後には神との出会いがあるのです。

「欠点だ・弱点だ」と思うような克服したい何かがあれば、自分の中の恐れや執着に向き合い、それを乗り越えていくと、試練を克服する神聖な者としての自己認識という癒しと至福に出会うことができるのです。

2人の騎士やマルセイユ・タロットが現代に生きるわたしたちにも試練に立ち向かうことの大切さを伝えてくれているようです。

次回ではこの物語をシンボル解釈と共に見ていきます。

緑の礼拝堂へのイニシエーション☆アーサー王と円卓の騎士(2) 
 

%e3%82%bf%e3%83%ad%e3%83%83%e3%83%88%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%af-%e7%b7%a8%e9%9b%86%e6%b8%88%e3%81%bf
 Click here

カモワン・スクールでタロットを学びませんか?

貯めすぎ注意☆日本人には耳が痛い?

こんにちは。カモワン福岡のブログへ、ようこそ(^-^)

先週末は、タロットを受講された方たちに座談会に招いていただきました。

タロットのお話、公開リーディング、一枚引きのシェア等をして楽しんできました。

そのときも触れることのあったこちらのカードを今日は見ていきましょう。

ⅩⅥ(16)という数をもつ『神の家』です。

このカードはマルセイユ・タロットと現代のタロットの間で大きく異なるところがあります。

現代に作られた新しいタロットでは、ⅩⅥ(16)という数をもつカードには、壊れた建物が描かれています。

タロットの秘伝が欠落したため、『神の家』という大切な言葉が伝わらず、恩寵が描かれ損ねたようです。

一方、カモワン版マルセイユ・タロットの『神の家』の建物は全く壊れていません。

素敵な冠が建物よりも上に描かれています。

建物から外れたものではありません。

マルセイユ・タロットの伝統では『神の家』が正立の場合は全く問題はないのです。

そこにいる人たちも宙返りしているようだし、2人の顔をじっくり見ると笑顔のように見えます。

(この挿絵では省略されています。)

周りにカラフルな丸いものが描かれています。

この丸いものも、リーディングのときはいろんな象徴として読むことができますが、これが「神」の家であることから、神にちなんだお話でみていきましょう。

空から降ってくる丸いものでよく知られたものがあります。

『旧約聖書』でモーゼたちが荒野を放浪しつづけた期間、神から糧として与えられたマナという食べ物です。

取ることが許されたのはその日食べる分だけでした。

ただ、安息日の前日だけは二日分、取っておくことが許されました。

安息日にはマナは降ってこないからでした。

空腹だった一同は与えられたマナをいそいそと拾い集めたことでしょう。

その中には、モーゼの注意を聞かず、余分に取っておく人がいました。

しかし次の朝には腐ってしまっていたとなっています。

今必要のないお金や物資、エネルギーを蓄積するとそれらが腐敗する・澱むということを伝える話です。

では、マルセイユ・タロットの『神の家』に再度目を移してみると、神殿の前の2人はいずれも頭を下げています。

これは神に対して頭を垂れている=神への敬意の表明をしています。

『神の家』の2人がモーゼの一行にいたとしたら、神の取り決めに敬意を表して、きっとその日の分だけのマナを取ったことでしょう。

そのひとつ前のⅩⅤ(15)の『悪魔』のカードには手を後ろに回して、何かを隠している2人がいます。

「あれ?余計に取ったマナを隠しているのかな?」なんて想像をします。

『神の家』の2人の心境にはまだ至っていない段階なのでしょう。

『悪魔』の下に留め置かれて欲望と心配に支配されるか、『神の家』の下にまで辿りついて敬意と信頼に満たされるか。

現代の日本人は「まず貯蓄」となりがちなようですから、誰の心にも引っかかるテーマなのかも知れません。

これはわが身を振り返らせ、気を引き締めさせるようなテーマです。
 
 
 
%e3%82%bf%e3%83%ad%e3%83%83%e3%83%88%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%af-%e7%b7%a8%e9%9b%86%e6%b8%88%e3%81%bf
 Click here

カモワン・スクールでタロットを学びませんか?

神話の案内人☆ジョーゼフ・キャンベル

タロットを勉強し始めると、タロットが神秘の宝庫だということが分かってきます。

星座の話から、神話、民話、伝説など。

その領域を探索していると、タロットとのリンクがたくさん見つかります。

伝説などの中でも、日本にいてなかなか触れることがないけれど、とても魅力的なものに聖杯伝説があります。

アーサー王やランスロット卿、トリスタン卿、ガウェイン卿など円卓の騎士たちといった魅力溢れる登場人物がいます。

神話の本を読んでいて、パーシヴァル卿が『愚者』のカードと関わりがあるようだと分かったときには小躍りしたくなりました。

アーサー王のエクスカリバーという剣は、タロットの剣のA(エース)のモチーフだという説もあります。

聖杯伝説は、起源や時代背景というものが確定せず、御伽噺のようにさえ感じられますが、不思議な魅力のある物語なのです。

伝説や神話を紐解くことはタロットの世界への理解を実に深めます。

そこでジョーゼフ・キャンベルという神話学の教授が神話の世界を案内してくれている『神話の力』という番組をご紹介します。

活き活きと話されている感じに、キャンベル教授は本当に神話がお好きなんだなと感じさせてくれます。

ただ面白いだけではない見ごたえがあり、番組をYoutubeで視聴するのがお勧めです。

その後、書籍にもなっています。

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

リンクしている第4回目には、ガウェイン卿の話が出てきます。

深い意味で人生を楽しんで生きるために、神話がわたしたちをどのように助けてくれるかというお話をじっくりと楽しんでください。
 
 
 

 
 
 
%e3%82%bf%e3%83%ad%e3%83%83%e3%83%88%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%82%af-%e7%b7%a8%e9%9b%86%e6%b8%88%e3%81%bf
 Click here

カモワン・スクールでタロットを学びませんか?