区切りのプロセス☆心の門を前にする
こんにちは、カモワン福岡のブログへ、ようこそ。
お盆の休暇をどのように過ごしましたか?
わたしは今年は特に何もなく過ごしましたが、数年前の夏は過ごし方が違いました。
祖母と義父が亡くなったので、お盆はしんみりしたものになりました。
親しい人を亡くした後には悲しみと向き合う喪の期間を過ごすことで、喪失の事実を受け入れていくことができます。
涙を自分の後ろに隠しこまず、喪失の悲しみを自覚することが先に進むために背中を押します。
特にお葬式や納骨など、埋葬のための一連の儀式を行うことは、残された側が心に区切りをつける助けになります。
チベットでは亡くなった人の持ち物を焼くなどして処分するそうです。
そうすることで残された側が心の整理をするだけでなく、亡くなった人も現世への執着を断って魂の旅に出発しやすくなると考えられているからです。
お盆を例に挙げましたが、成人式など他の儀式にもそういう機能があります。
しかし儀式が形骸化してしまうと心の区切りの作用もからっぽになるのです。
近年は結婚も儀式的な部分は簡略されるバージョンが多くなっていると言います。
儀式に含まれる智慧あるということが知られていないため、または智慧が含まれない儀式になっているために、採用されなくなっているのでしょう。
結婚前夜に「お父さま、お母さま、これまで育てていただき・・・」という一段を語る手続きを行う人は減っているのではないでしょうか。
わたしもそうだったので、儀式の簡略化の影響は他人事ではないんです。
こういうプロセスが意識を「子どものわたし」という古いパーソナリティから「カップルになる大人のわたし」という新しいパーソナリティへと生まれ変わらせる助けをします。
儀式を簡略しても、心の区切りをつける自覚がはっきりしていればいいことではあるのですが、儀式は意外にパワフルな作用をもっています。
心の区切りのためのプロセスがないとパーソナリティの変容が中途半端になることがあるのです。
そうすると問題が起きたときに、古いパーソナリティが「何かあったら実家に頼ろう」という解決方法を採用しがちになります。
せっかく新しいパーソナリティで生きるチャンスなのに、古いパターンに戻るのは人生の時間がもったいないと言えます。
スタートで儀式のパワフルな作用を味方にできなければ、後は地道に試行錯誤しながら変容していくことになります。
形骸化している儀式もあるので、このブログで儀式を推すわけではありません。
ただ、智慧のパワーが含まれた儀式には意味があり、そういう儀式に出会う機会に恵まれた場合は、本人がそれを活かそうという気持ちになるならば、きっと有意義なものになるだろうとは思うのです。
これは『月』のカードです。
建物が2つ描かれています。
1つの状態から、もう1つの状態に移動することを象徴します。
前に描かれた2頭の動物のように、吠えあい、葛藤することも象徴しています。
また、建物を門のように見立てられるときには、勇気をもって変化の門を通り過ぎることができるかを問うている場合もあるのです。
その場合には前の2頭は狛犬のような聖なる門番になります。
何か遂げたい変化がありますか?
『月』のカードが出たら、そこで自分に向き合うことは変化のための儀式になりえるかも知れません。
それを儀式にできれば、先に進むパワフルな勇気が得られるかも知れません。
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