緑の礼拝堂へのイニシエーション☆アーサー王と円卓の騎士(2)
こんにちは。カモワン福岡のブログへ、ようこそ。
前回に続き、アーサー王の円卓の騎士のひとりであるガウェイン卿が緑の騎士と対決するエピソードをフィールドにします。
ストーリーは前回のブログをご参照ください。
今回はシンボルを検討していきます。
エピソードは、アーサー王の宮廷に乗り込んだ緑の騎士がアーサー王の騎士たちに首を切り落とし合うことを提案するところから始まります。
そして大きな斧を使っています。
一方で、『ⅩⅢ』には大きな鎌が描かれており、黒い土のところには頭が2つが描かれています。
(挿絵は『ⅩⅢ』)
両方とも、大きな刃物が出てくる試練という共通点があります。
緑の騎士のように頭が切り落とされ、再生するというのは、古い思考パターンを壊し、新しい考え方をするという意味です。
ⅩⅢにも同じ様な意味があります。
試練というもの全てに同様の作用があるようです。
秘密結社には「一人だけで死体と一晩過ごす」という入会儀礼を課すところがあるらしいのですが、それも同様な意味があるようです。
それは経験していない者には恐ろしいことですが、通り抜けた者にとっては、過去の自分とは一線を画した新たな自分になったと思える試練です。
試練は克服した者には自信の基になり、祝福となります。
だからこそ、タロットでも『ⅩⅢ』の次では祝福を思わせる大きな天使に出会うのです。
次は狩人の妻の誘惑を見ていきましょう。
ガウェインを誘惑したときのアイテムであるガーターは靴下やタイツ、ストッキングを繋ぎ留める道具です。
『悪魔』のカードでも、ロープという繋ぎ留めるアイテムが出てきて、やはり共通点があります。
繋ぎ留める道具という意味の「アタッチメント(attachment)」という言葉は「執着」という意味でもあります。
執着をテストされている試練です。
ここでは性的欲求、あるいは生存欲求の試練ということになります。
次は交換する約束をした獲物についてみていきましょう。
1日目はたくさんの獲物が出てきました。
狩人の獲物といえば動物であり、動物は獣性を象徴します。
それが2日目は前日の半分になり、3日目はみすぼらしい狐1匹になりました。
みすぼらしいということは小さいということを表わしています。
狐という象徴を使って、計算高さ・狡猾さという獣性であることを伝えています。
ガーターを渡さないガウェインの小さな狡さが「みすぼらしい狐1匹」ですでに予告されているのです。
とは言え、度重なる誘惑の試練を前にしてもガウェイン卿は欲望を「たくさん」の獣性の状態から「みすぼらしい」獣性の状態にまで減少させています。
獲物の数に反比例して、キスは回数が増えていきます。
それは性的なニュアンスのないキスであり、誘惑を退けたガウェインに対する祝福を象徴したものとして描かれているのかも知れません。
(挿絵は大きな天使の描かれた『節制』)
物語の最終場面は緑の礼拝堂であり、神を拝むところです。
タロットの方でも大きな刃物のⅩⅢ(13)に始まり、大きな天使の「節制」(14)、「悪魔」(15)と並んで、やはり最後に「神の家」(16)になります。
神を拝む礼拝堂と同じように、このカードでは2人の人物が建物の前で頭を低くしている様子が見受けられます。
さて、ガウェイン卿は緑の騎士の試練にパスしたでしょうか。
少し首の皮を切られ、「ガーターの分だ」という言葉があったところを見れば、おまけでの合格と見るのが妥当そうです。
緑の騎士が首が切られても死ななかった様子を見ると、緑の騎士は生身の人間ではなかったと考えられます。
緑、すなわち植物を司る神が化身した存在だったのかも知れません。
そう考えると、神なる存在が人間の小さな執着を多めに見るのは納得いきます。
あるいは神の刃物によって少し切られ、執着を指摘されたことが、ガウェイン卿にとっては追加の通過儀礼になった可能性もあります。
アンフェアなことはするまい、新たな自分に生まれ変わろうという誓いを礼拝堂で行ったかも知れません。
それまでも騎士道精神に則って清廉に生きてきた騎士だからこそ与えられた「危機を伴う再生の機会」という祝福だったのでしょう。
普遍的な教えは伝説、神話、神秘のツールを通して、それを求める者に伝えられます。
玉石混交の傾向はありますが、伝説や神話の探求は神秘の智慧に結びつきます。
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