学びのゴールへと旅は続く☆そこに光はあるか

カモワン・タロット福岡へ、ようこそ(^-^)

前回、前々回とヘビーめの話題が続きました。

そこをちょっと俯瞰してみようというのが今回です。
 
 
 
する側、される側が出会ってコントロール現象が発生します。

実はそこにはその経験を選択した魂の理由があるのです。

完全に達した魂はミラーボールのごとく光を放つともいわれ、全面的に輝くことを目的に、魂は転生の旅をします。
 
 

 (巡礼の旅人を表わす『愚者』のカード)
 
さて、ある魂の「コントロール」についての旅が始まりました。

経験の浅い段階では、極端な一方的視点でネガティブ状況を作り出します。
 
 
 
例えば、

まずは何も考えもせずただ人を傷つける側として生き、

その後の転生で傷つけられて、一生恨み続ける経験する。

コントロールということについての学びを得て、魂の状態で双方のバランスをとる。
 
 
少し成長した魂は一歩進んだ経験に身を投じようと決心する。

以前より少し光があるので、負荷のある状況を選ぶ。

自分が追い詰められた状況で、人を傷つけてしまうか持ちこらえられるかを試す。

つい傷つけてしまう。

その後の転生で傷つけられて、恨むが立ち直る経験する。

コントロールについての学びをさらに得て、魂の状態でバランスをとる。
 
 
さらに成長した魂はさらに進んだ経験を選ぶ。

そのときには相手をコントロールするという欲望に打ち克つ。

その後の転生ではコントロールに出くわしたら、相手を打ち負かしてしまい、逆に恨まれてしまう。

コントロールのゲームを演じても仕方ないことを学び、魂の状態でバランスをとる。
 
 
さらに英知を得た段階でその両方を経験する。

そのときには他の人の姿の中にコントロールの現象を見る。

自分の欲望で人を動かしてはいけないという学びを確認する。

その後の転生ではコントロールに出くわしても、ゲームに乗ることなく相手をかわす、あるいは離れるという選択ができる。
 
 
さらに・・・
 
 
 
というふうに魂は経験を積んでいくようです。

するとコントロールの前に見抜けるようになります。

さらにはコントロールそのものを引き寄せなくなりますが、それはコントロールについて学ばなくていい状態になるからです。

コントロールする側もされる側も英知のバランスを完全に回復するまで魂の旅が続きます。
 
 
傷つけるより、傷つけられる方がいいと言っている人も本当はゲームに参加しないで、そのエネルギーを自分の喜びになることに使う方がもっといいでしょう。
 
 
そしてコントロールする側の人は、結局は落とし前を自分で経験することになるのを意識していれば、欲望にブレーキがかけられるかも知れません。

 

 

これは『隠者』のカードです。

年老いた老賢者であり、早計に失することのない慎重さをもっています。

ランプでしっかりと物事を照らし出し、熟慮の上で答えを出すのです。

彼の足元には本のようにも見える象徴が描かれており、経験と智慧の豊かさを物語っています。

わたしたちも少しずつ積んでいるはずの経験と智慧で自分の課題を照らし出して、ゆっくりと答えを見つけていきましょう。
 
 
 
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安全なところまで☆スポイラーとさよならする責任

前の記事では「スポイラー」のことを書きました。

『犠牲はまちがい☆スポイルに気をつけろ』

スポイラーと反対側の人についても書くことが必要なようです。
 
 
 
スポイラーに犠牲を強いられていたことに気づくと悲しみや怒りが起こってきます。

その後、恨み辛みを持ち続けることに嫌気がさしたら、その状態を脱して先に進みたくなります。

自分でやりやすいものとしては、対話のイメージワークや出さない手紙を書くワークなどで感情を解放することができます。
 
 
 
それを充分にやっていってもなぜか先に進めないことがあります。

怒りや恨みを手放そうとしても、繰り返し湧き起こってきて困惑します。

許すということはその相手とまだ一緒にいなくてはならないと思い込んで、先に進めない場合があるのです。

「完全に許せるということは一緒にいても平気なはずだ」という進化を足止めさせようとする言葉を吐く存在がいたりします。
 
 
 
しかし自分にとっていい関係じゃないものを退ける強さもつことがこの人生の課題である場合もあるのです。

これは親を始めとした家族も例外ではありません。

関係改善しようとして努力しても無駄だったのなら、距離をとったり、決別したりする決心した上で許すという考え方が可能です。

相手との境界線を引きなおすということです。

昔に比べると、現在は急激な進化が可能な状況にあり、進化を選択した人の中には過去に関わってきた人たちとの交流が難しくなっている人は多いのです。
 
 
 
(公正さ守護する『正義』。大きな剣をもっている)
 
 
 
関係を変えるという段階になったとき、しなければならないことに自分の責任と向き合うということがあります。

犠牲を受け入れてしまった自分の「自分を大切にする気持ちが充分じゃなかった」責任や「最初に気持ちを伝えなかった」責任などをきちんと見つめることです。

また犠牲者的にふるまって「あなたがわたしをこんな風にした」という習性になっていないか、あるいは逆にスポイラーやスポイラーに見立てた相手を手玉に取ろうとしてないかの確認もするといいでしょう。

自分が自分の人生の主権者です。

自分の人生に対する権利と責任はセットになっています。
 
 
 
関係性によっては自分が離れる決意をするだけで可能なものから、実務的な行動や協力者が必要な場合もありますが、自分を大切にする主権者にはそのステップを行う権利があります。

人生の主権者としての行動ができたら、自分と他人を許すというプロセスに進むことができます。

自分を安全な場所まで連れて来た後にやっと防御の剣を下ろすことが可能なのです。
 
 
 
許しによって恩恵を得るのは自分自身です。

悲しみや怒りによってすり減らしてきたエネルギーを自分の人生を新たにするエネルギーにまわすことができるようになります。

ここでひとつポイントがあります。
 
 
 

この『節制』は看護師やヒーラーなど人を癒す役割を果たす様子を表わすことがありますが、大きな天使はやさしい眼差しを注ぎながら、ゆっくりと水瓶の水を移し替えています。

癒しの段階に来たら、回復に充分に時間をかける自分へのやさしさが薬になるということです。

足元には蛇がからまったような象徴が描かれていますが、これは魂の癒しの象徴の一部です。
 
 
 
タロットには、痛みや怒りからの自分の癒し・再生の智慧が描かれています。

『正義』の強さや『節制』のやさしさもそのひとつです。

そこをじっくり通過し終わったとき、ものごとを見る自分自身の視点の変化に気づくかも知れません。
 
 
 
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犠牲をチェックしよう☆冬至とクリスマス

冬至、クリスマスと続きますね。

クリスマスはイエスの誕生日ではなく、イエスの生誕をお祝いする日です。

太陽が短くなる時期から長くなる時期へと切り替わる冬至は太陽が新しく生まれる日として古代から大切に祝われてきました。

「イエスの生誕」を祝う日として適していると判断して教会が祝日を決めたのでしょう


 
 
 
イエスにまつわるシーンというと生誕に並び、磔刑のシーンが印象にあるでしょう。

それについては多くの誤解があることをご存知ですか。
 
 
 
悲劇を賛美する文書ではまるで磔刑がイエスの使命であったかのように書かれることがあります。

しかしイエスの役割は光の叡智を人々にもたらすことでした。

磔刑はあくまでローマ帝国側の勢力に追い詰められた最期です。
 
 
 
イエスの磔刑を犠牲という言葉で美化することはあまりいいとは思えません。

巧妙な策略が介入しそうな感じがします。

イエスに共感した人々は、他者からスポイルされる「犠牲」というパターンに陥ってしまいがちだからです。

犠牲体質になった人からは、スポイラーたちは容易にエネルギーやその他を盗むでしょう。

(スポイラーの代表的存在。お腹の中で舌を出した『悪魔』)

そういう後進たちの姿は決してイエスの望むところではないように思います。
 
 
 
神殿の前で参拝客を相手にあざとい商売をし、神殿を汚していた商人の露店を蹴散らしたエピソードもイエスにはあります。

イエスは強くたくましい心ももっていたに違いないと考えられます。

弱々しい犠牲の救世主として見るとは「なめんなよ」という話ではないでしょうか。

「磔刑によって人類の罪があがなわれた」ストーリーは盗人にとって非常に都合のいい解釈でしょう。

自分の罪は自分で背負うのが当然のことです。
 
 
 
何かの犠牲を賛美するような話を聞いたときには搾取が起きていないかよく観察してみることが必要です。

犠牲を称えているその人はエネルギーを提供している側でしょうか、
取っている側でしょうか。

エネルギーを提供しているとしても、自分以外の人にエネルギーの提供を強いている場合はスポイラーの手先かも知れません。
 
 
 
「イエスの磔刑」という言葉に耽美的なものを感じる場合は自分の中に偽りの価値観が紛れ込んでいないか調べてみるチャンスです。

スポイルの構造に気をつけてみましょう。
 
 
 

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