夏至☆太陽のコードとタロット

こんにちは、タロットの世界へ、ようこそ。

2019年は、明日6月22日が夏至です。

一年の内で、もっとも太陽が出ている時間が長くなる日です。

春分、夏至、秋分、冬至がよく知られている太陽の特別な日。

以前、わたしが読んだ本には、この4つの日には、太陽からコードが発されると書いてありました。

そのコードは、人間がそれを受信することで、自分の本来の生き方に合致していけるように働きかける作用をもつらしいんです。
 
 
 
この4つの日、特に春分・秋分に、太陽がご神体やご本尊にアプローチするように設計された神殿や寺院が古くからあります。

南米に伝わるククルカンの神殿もそうです。

羽毛のあるヘビの姿をしたマヤ・アステカの創造神ククルカン=ケツァルコアトルも春分・秋分に太陽に関わります。

ケツァルが鳥、コアトルが蛇を意味します。

チチェン・イツァという遺跡のククルカンのピラミッドの階段に、春分・秋分の日の日没時に黒くうねった影としてその姿を現します。

ククルカンが地上に降臨するその階段は364段と最上部の1段で365段、一年を表わします。

太陽の暦に合わせて、神が地上に降りてくる、つまり太陽の周期で神が地上にアプローチするということになります。
 
 
現在は仏教遺跡として知られるアンコールワットは、もともとはヴィシュヌ神を祀ったヒンズー教の神殿だったようです。

ヴィシュヌ神は、ヒンズー教において、創造の三位一体の1柱であり、太陽神であるともされています。

春分と秋分の日には、アンコールワットの神殿の中央尖塔から太陽が昇るように設計されているそうです。

その尖塔と重なるように太陽が昇ることは、太陽の力を尖塔を通して神殿や地上にもたらすことを意図しているのでしょう。

(このカードは『法王』。神殿の赤い円弧の中央に太陽が見えている。)
 
 
ヴィシュヌ神は創造された宇宙の維持を担う役割をもっています。

宇宙を維持する間のヴィシュヌ神は、ヘビ神ナーガの1柱アナンタ(永遠を意味する)のとぐろの上で眠る姿で描かれます。

そしてヴィシュヌの乗り物とされる動物はガルダと呼ばれる神鳥なのです。

どうやら鳥とヘビは、神や創造に関して深い関わりがあるようです。
 
 
マルセイユ・タロットにも鳥とヘビが描かれているカードがあります。

特に分かりやすく描かれているのは『星』のカードです。

(これは挿絵なので、ちょっと見づらいですが。。。)

左の樹木の上に、翼を広げた鳥がとまっていて、幹に沿って伸び上がっているヘビの姿が描かれています。

ひざまずいている女性は、天上の星と同じ色の液体を瓶から地上に流しています。
 
 
こうして見ていくと、太陽の力を地上にもたらすのは古来より行われたきたことであり、神殿という器があると、より意識的に取り込めそうです。

太陽の暦の特別の日には、神社などに足を運んでみるのもいい考えかも知れません。

しかしながら、『星』の女性が見せてくれるように、身一つでもそれが可能なようです。

「星ならば夜ではないですか」とツッコミが入るかも知れないので書いておけば、太陽も恒星のひとつなのです。

年に1日の夏至、自分らしい生き方のために、太陽との繋がりをもってみませんか。

タロットのシンボルと『美女と野獣』(その2)

こんにちは。

では「タロットのシンボルと『美女と野獣』(その1)」に引き続き、映画の中の象徴とタロット・カードの照応をしていきましょう。

あらすじはその1に載っています。
 
 
<夢でヴィジョンを見る>の場面では、ベルは夢で過去の情報に触れる際に、「楕円形」のような象徴的な門を通してヴィジョンを得ました。

それは女性器を意味する象徴です。

わたしたちは生まれるときに、この象徴の門を通って霊的次元から物質次元に到達します。

この形はヴェシカ・パイシス(魚の浮き袋型)と呼ばれ、別の領域を繋ぐ門を象徴しています。

これによって、ベルが見たのはただの夢ではなく、「過去の世界」という異次元に接していることが表現されたのです。

タロットの『世界』のカードにそのシンボルを見ることができます。


 
 
 
ストーリー全体を通して、「金色の矢」の象徴が3通りの形で繰り返し出てきていました。

城主と奥方、盗賊と恋人、野獣とベル。

最初の2回が「愛する人との場面」であることによって、金色の矢が「クピドの矢」であることを示唆しています。

クピドはギリシャ神話の愛の神で、キューピッドとも呼ばれ、子どもの天使の姿で表わされることがほとんどです。

神話では、ハートにクピドの矢が打ち込まれるとたちまち恋に落ちるとされています。

3回目の野獣とベルにおいても、同じ金色のクピドの矢が繰り返されることによって、二人の間にすでに恋愛が存在することが表現されているのです。

(タロット講座を受けた人はここで「繰り返しの法則」に気づくかも知れませんね。)

クピドの矢の象徴だと思わなければ「恋している、恋に落ちた」とは気づかず、淡白な場面だと思うかも知れません。

この象徴は『恋人』に、ほぼそのままの形で描かれています。


 
 
 
<森の神の力>の場面の命の泉には、「2本角のある像」があったのですが、それも日本人からすると鬼に間違えそうです。

これはケルトの神であるケルヌンノスやギリシャ神話の牧神パンの姿であるようです。


(「ケルヌンノス」ウィキペディアからお借りしました)

ケルヌンノスは山羊か羊の角をもち、多産や豊饒など生命力を司り、動物や狩猟を司ります。

パンは山羊の角と割れたひづめをもち、生命力や繁殖力との繋がりがあり、さらにはセクシャリティや好色さとも繋げて考えられるようになりました。

生命力と関わりがある神だからこそ、命の泉で瀕死の野獣を癒すことができるのです。

キリスト教文化の中では人生は死後報われるとされているので、牧神パンなど、生命力・繁殖力を司る神々は立場が悪くなっています。

そういう意味でも、ケルヌンノスや牧神パンは『悪魔』のカードっぽいかも知れません。

ケルヌンノスや牧神パンはもちろん悪魔ではありませんが、生命力、豊かさ、動物、角という部分では象徴として見立てることができます。
 
 
 
気づいたものをいくつか挙げていきましたが、タロットの中には万物を象徴できるシンボルが入っています。

映画などの芸術や文学などと照らし合わせて、象徴を読み解くのは興味深い愉しみです。

映画の味わい方が、もうひとつ深くなると思うのです。
 
 
 
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タロットのシンボルと『美女と野獣』(その1)

こんにちは。タロットの世界にようこそ。

タロットではシンボル(象徴)を読むことが大切ですが、欧米の芸術ではシンボルがたくさん使われていることがあります。

その中でも映画にシンボルを見ていくのはなかなか面白いですよ。

今回はフランス・ドイツ合作のファンタジー映画『美女と野獣(La Belle et la Bete)』(2014年)です。

美女と野獣(字幕版)

ベル役のレア・セドゥがみずみずしいバラのようでした。

背景にはCGが多用されていて、帆船、お城、森、あふれるバラと光の粒と、とてもきれいでした。

野獣の毛並みもCGでフサフサ、衣装なども時代がかっていていい感じでした。

野獣の過去など、物語に深みを与えるための新たなストーリーが追加されているようです。

あらすじは・・・

<お城に迷い込む>
息子と娘を3人ずつ持つ元々大商人だった男が町からの帰り道で森に迷い込みます。
森の奥の廃墟のようなお城にたどり着き、一晩の宿を頼もうと声をかけますが、そこにはひと気はありません。
しかし家族がほしがっていた品物や宝物があり、キャンドルが赤々と灯され、食事も用意されていました。
男は子どもたちの望む品物をもち、そこを後にしようとしますが、末娘ベルが欲しがっていたバラを庭で見かけつい摘んでしまいます。
そこへ城主である野獣が現われ、用意されたもてなし以上にバラを摘んだことを責め、代わりに命を奪うと言い渡しますが、家族に別れを告げるために1日だけの猶予を男に与えます。

<ベルがお城に行く>
男が家族のもとに帰ると、ベルは愛する父親の身代わりになろうとそっと家を出て野獣のもとに赴きます。
野獣は命を奪うことはせず、毎日、晩餐を共にすることをベルに申し渡します。
野獣はベルの美しさや気丈さ、やさしさに強く心を惹かれますが、素直に気持ちを伝えることはできず、ベルは野獣の粗野な求愛をはねつけます。

<夢でヴィジョンを見る>
ベルは夢のビジョンでお城の過去の世界に誘い込まれます。
それを見て、妻を自らの弓矢で失ってしまった苦悩や野獣にかけられた森の神の呪いの秘密を知り、ベルは野獣を段々と理解するようになりました。
ある日、ベルはダンスをすることと引き換えに自宅に一度帰宅することを持ち出します。
野獣はそれに応じ、過去の幸福だった日々を思い起こさせるような華やかなひとときをベルと過ごします。
ベルが自宅に帰ると、父親は病に伏していました。

<野獣が弓矢で撃たれる>
父親の世話をしている間に、盗賊たちがベルの兄たちを脅して案内させ、財宝を奪おうとお城に攻め寄せます。
タロット占いによって盗賊の身を気にしている恋人は早く城を後にしようと言いますが、盗賊はそれを聞かず、恋人の手から取った弓矢を、追ってきた野獣に撃ちました。
略奪の限りを尽くして野獣を撃ったことで、盗賊たちは満足して城を去ろうとします。

<森の神の力>
しかし自分の森で行われた無情な殺戮を森の神は許しはせず、盗賊たちは石の巨人や取り巻く樹のつるによってことごとく打ち滅ぼされました。
森の誘いによって瀕死の野獣のところにたどり着くことができたベルは、彼を生命の泉に運び、いつの間にか愛すようになっていた野獣のために涙をこぼしながら胸の弓矢を引き抜ます。
その愛によって森の神は微笑み、かけられていた呪いが解け、野獣はお城の城主だった王子の姿に戻ることができたのでした。
 
 
 
気になったことがありまして、それというは表現がヨーロッパの特にフランスの文化や象徴体系に委ねられていて、人によっては分かりにくいかもという部分です。

わたしはマルセイユ版カモワン・タロットを勉強しているので、フランスの象徴が多少なりとも理解できて、そのため充分楽しめました。

すてきな作品が楽しめないともったいないですね。
 
 
例えば、後半の大切な伏線となるようなものとして、序盤のあたりで、盗賊が恋人にタロット占いをしてもらう場面が出て来ていました。

ヨーロッパ圏であれば、ほとんどの人がある程度タロットのことを知っています。

それで身動きしていない様子の『吊るし』が出たために、恋人ははっきりと口には出さないまでも盗賊の身を心配していると推測できます。

それが、日本では、興味をもつ一部の人しか推測できないかもという部分があるのです。
 
 
 
また、<お城に迷い込む>の場面では、野獣のお城のドアの上には「ガーゴイル」と呼ばれる番人的な魔除けの石像がありました。


(ウィキペディアからお借りしました)

それを番人、魔除けの意味と知らなければ、悪魔の建物かなと思うかも知れません。

ヨーロッパの建物では、ガーゴイルが雨どいなどにも取り付けられ、「がらがら~」と、まるでうがいしているようなユーモラスな姿をしていたりします。

日本で言えば、なまはげや天狗のように少し恐そうだけれど、建物の内側に住んでいる者たちにとっては、外的から守ってくれる意味をもつ頼もしい存在でもあるのです。

ひとつひとつの象徴は大切な意味をもっています。

次のブログでは、タロット・カードと絡めていくつかの象徴を取り上げていきましょう。

この2014年版の『美女と野獣』を見るときにたどり着いた人には「へー」と楽しんでもらえるかも知れません。
 
 
 
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