人は自由でなければならない☆愚者

「人は自由でなければならない。」

「自由は人間の本質である。」

そう伝えるのはこの『愚者』のカードです。

『愚者』という名前ですが、これは「神の目から見て賢い者は人間からみれば愚かに見える」という意味を含んでいます。
 
 
 
『愚者』が見ているのは『世界』のカードだといわれています。

『世界』は最終的な完成、大願成就を表わすカードです。

『愚者』は自分の大願のために、服装はずたぼろでも、視線を高く上げて足取り軽く前に進みます。

目的だけを見て、一切の囚われをなくした存在です。

「一切の囚われ」ですから、いやなものだけでなく愛着のあったものからさえ自由になっています。
 
 
 
『愚者』の元型にぴったりな人に聖ロックというフランスの聖者がいます。

この人は生来、胸に十字のあざがあったといわれていて、その十字に意味を見出し、その意味するところに適う生き方をしたいと思っていました。

そして親からの遺産をすべて貧者に施して巡礼に出ました。

思いを理解していない周りの人たちからは「愚か者」呼ばわりされました。

巡礼の旅の途中、自分の安全も気にすることなくペスト患者を看病しました。

人からの評価や金銭や肉体の安全への執着からも自由になっていた人です。
 
 
 
他にも『愚者』元型にぴったりの人に聖杯伝説の騎士のパーシヴァル卿がいます。

騎士になるべく旅立とうとしたときに、行かせたくなかった母親が道化師の服装を準備しました。

服装を笑われることでやる気をなくさせ、家に留まらせようとしたのですが、パーシヴァル卿はそんなことは意に介せず、道化師の姿で旅立っていきました。

どうみられるかへの執着も親の思惑からも自由になっていた人です。
 
 
 
日本の社会には「社会の和」「常識」や「親」「年長者」を尊重するという名目で、人の自由を縛る傾向があります。

いいところも多い日本ですが、これは非常に醜悪な面です。 
 
 
 
意向を無視して「これはさせない」「これをせよ」「こう考えろ」とされ、不自由に感じたら、自分にとっていい関係性・いい環境なのかを再考する方がいいでしょう。

どのようなものの意向も、本人の意向に取って変わることはできないのです。

意向を踏みにじられることは生きる意味を踏みにじられるようなものです。

熟考して、やはり意向が尊重されていないと感じたら、話し合い、それでもだめなら離れる必要性もあるかも知れません。
 
 
 
自由な精神を保てるからこそ『愚者』は視線を高く、夢や希望をもって、人生の旅路を歩んでいけるのです。

人にどう思われても、ぼろを着る貧しさを経験しても、信じるものから視線を外さなければ『愚者』は道を進んでいけるのです。
 
 
 
自分の精神を自由にさせる光(=叡智)を摂取しましょう。

それを表わすのは、ランプを掲げた老賢者のカード『隠者』です。
 
 
 

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もう一度シンボルで民話を読む☆眠れる森の美女(その2)

こんにちは、カモワンタロット福岡のブログへようこそ(^-^)

先月は民話の『眠れる森の美女』について書きました。

前回の分はこちら

新たな道標を見つけました。

神智学協会のサイトの興味深い記事です。

「ヤコブの梯子」についての論文で、書いたのはメリー・アンダーソンという方です。

(神智学協会のホームページ http://theosophy.jp/)

創世記28章が引用してあり、その中の解説には進化の暗示的道標としての『眠れる森の美女』を分かりやすく見せてくれる記述がありました。
 
 
 
時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。
(創世記28-12)
 
 
 
昇り降りしている存在のいる『運命の輪』を想起させます。

28章の後半では『神の家』を想起させる部分があります。
 
 
 
意識などの「進化する」というときの「evolve」は「繰り広げること、展開すること」とされています。

それは、ラテン語の「volvere」(回る・巻く・巻き込む)に、「e」(外に)という接頭語がついたところから来ているらしいのです。

つまり意識の進化・展開がある前には、意識が物質などに包まれ、巻き込まれている段階がプロセスとしてあるのです。

意識が物質に囚われたり、物質的なことに魅了された後にそこから解放されるのです。
 
 

(糸を紡ぐ糸車に似た『運命の輪』)
 
 
『眠れる森の美女』である姫が手を刺したのは糸車の錘(つむ)でした。

糸は錘(つむ)以外でも、例えば手まりでも巻きますが、手まりは巻き上げたものが完成品です。

錘(つむ)は糸を巻くことそのものは目的のものではありません。

糸を巻いて紡ぐ理由は、機織などのために解くことを目的としています。

解くことを目的とした物が小道具として用いられていることがポイントです。
 
 
 
眠り姫が目を覚ますということが一番はっきりしたシンボルです。

それだけでなく、眠りの「暗さ」から「夜明け」さらに煌々とした「昼の明るさ」に前回、言及しました。

論文から受け取った理論で象徴を見ると――

お話の序盤では、糸を「紡ぐ=巻く」ための錘(つむ)が出てきます。

そして姫が眠ると茨で城が包まれます。

後半になると、城を包んだ茨が王子が通るときになぜか「ゆるみ」ます。

最後では、姫たちが乗った馬車が入っていくために、お城の門が「開かれる」イメージができます。

形を変えて繰り返しているといってもよさそうです。
 
 
 
また、お話の中では、お姫さまが眠っていた100年は夢のように過ぎたとされ、お姫さまも100年の間、おもしろい夢を妖女の力添えで見つづけていたとされています。

意識の衰退と進化の繰り返しの中、目覚めを迎える前のわたしたち人類の意識はちょうど夢の中にいるようなものなのでしょう。

仮に苦労や悩みがあったとしても、目覚めた後には「面白い夢だった」とわたしたちは語るのかも知れません。

民話はいくつもの暗示によって、意識の進化の印象をわたしたちの中に投げ掛けています。
 
 
 

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シンボルで民話を読み解こう☆眠れる森の美女

こんにちは、カモワン福岡のブログへようこそ(^-^)

タロットは象徴言語で語るというのは講座の最初に伝えられます。

今回は象徴で遊びながら民話を探検しましょう。
 
 
 
子どもの頃に『眠れる森の美女』の本を読んだ方もあるでしょう。

ディズニーの童話やグリム童話集、ペロー童話集などがありますね。

ペロー版であらすじをたどってみると――
 
 
 
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

長らく子どもに恵まれなかった王様夫婦にやっと授かったお姫様の洗礼のお祝いでのことです。

お祝いの言葉を贈ってもらうために国中の妖女が招待され、もてなされているところでしたが、招待の名簿からもれていた年寄りの妖女がいたのです。

その年寄りの妖女はお祝いの場に出てきたのですが、急場の間に合わせの食器でのもてなしだったので、侮辱されたように思い、ぶつぶつ文句を言っていました。

ある若い妖女がその年寄りの妖女の様子を見ていました。

年寄りの妖女がお姫様によくない言葉を贈るかもしれないと思い、カーテンの陰にそっと隠れてそのときに備えました。

妖女たちは次々にすばらしいお祝いの言葉を贈っていきましたが、番が回って来た年寄りの妖女は「お姫様は手を糸車の錘(つむ)にさされて死ぬだろう」と言いました。

皆が恐ろしさに包まれましたが、若い妖女がカーテンの陰から現われて「のろいを取り消すことはできませんが、弱めることはできます。お姫様は錘で手をさされてしまいますが、亡くなるのではなく、ぐっすりと眠り込んでしまい、ちょうど100年めに王子さまがお越しになり、お姫様を目覚めさせることでしょう。」

王様はすぐに国中の糸車の錘の使用を禁止し、何事もなく15、6年が過ぎました。

美しく育ったお姫様は、王様たちがお留守のある日、お城の中を散策していました。

お城の天辺の部屋まで行くと糸車を使っているおばあさんに出会いました。

お姫様は自分もやってみたいと言って錘を握ろうとして、手をさしてばったりと倒れてしまいました。

おばあさんは驚いて、人を呼び、王様たちも帰ってきて、お姫様が死んでいないことにみんなほっとしましたが、眠り続けるのをそのままにするしかありませんでした。

それからお城のすべてのものは姫とともに100年間の眠りにつき、お城は茨に包まれます。

100年後のある日、狩の帰りの王子様がお城の前を通りました。

昔からこの辺りに住んでいる農夫に呪いの話や100年後の目覚めの予言のことを聞きました。

王子様はぜひに自分がそのお姫様を助けたく思い、お城に近づいていきました。

お城を包み込んだ茨は王子様が通るところだけは不思議と道が開いていきます。

ついに王子様は美しいお姫様が横たわった寝台にたどり着きました。

そのとき呪いの魔法が尽きて、お姫様は目を覚ましたのです。

そして互いを見初めあったお姫様と王子様は婚礼を挙げ、夜を共に過ごしました。

その後、王子様は住んでいたお城へと帰り、王様や王妃様に旅の途中、森で道に迷って炭焼き小屋にとまってもてなしを受けたと伝えました。

王様はそれを真に受けましたが、王妃様は王子様に見初めた相手ができたのだと悟りました。

お姫様は、アウローラ姫とジュール王子という二人の子どもを産みました。

弟のジュールは姉のアウローラよりも立派で美しい王子でした。

その後、父君である王様が亡くなり、王子様は王位つきました。

そしてお姫様を正式にお妃に迎え、お姫様は2人の子どもを連れ、馬車で王様のお城に入っていったのでした。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 
 
 
物語の最初の焦点は妖女たちが言葉を贈るところです。

古フランス語では「語る」という意味のある「Spell」という言葉は、英語では「読む、つづる」「魔法、呪文」の意味があります。

話された言葉には魔法の呪文の力が宿ることを意味します。

また音として発された呪いに対しては、有音の言葉で対処する必要があることもこの話は示しています。
 
 
 
象徴的なものを見ていくと、糸車とその錘が印象的に出てきます。

運命の糸車を回し、その糸を紡ぐと伝えられているのが運命の女神モイライたちです。


(糸車によく似た『運命の輪』)

この象徴からするとアクシデントが起こるのは運命であり、呪いというより「妖女たち」は悪い運命を告げているだけと解釈していいかもしれません。

運命じゃないのなら、糸車のなどの小道具なしに「15歳の誕生日に命を奪う」と伝える流れでもいいはずですから。
 
 
 
またこの物語は王様夫婦に子どもができることから始まり、物語の最後も王様となる王子様とお姫様の間に子どもができるというところで終わっています。

王様と子どもというのも象徴のひとつです。

裸の王様を例に考えると分かりやすいのですが、裸の王様は「愚か者には見えない立派な服を着ている」とだまされて、自分に見えなくても見えている振りをします。

子どもはその反対で偽りの言葉に左右されず「王様は裸だ」とはっきりと真実を指摘します。

「王」は目に見えることに左右される人格レベルの状態を示し、「子ども」は世間のほこりにまみれない真実を観る魂レベルの状態を示す象徴です。

ですから、王様に子どもが生まれるということは人格レベルだった人に魂レベルの状態が出てきていることの象徴と見ることができます。

(その他にも「王」には意味があり、それによってお城に帰った後の王子の言動が理解できますが、その内容は話が膨らんでしまいますので、また講座のときなどに。)

このことが最初と最後に語られているのがポイントになります。
 
 
 
よく知られているディズニー・シリーズのお話では、眠り姫の名前がオーロラになって混同されてしまっていますが、これは本当は子どもの名前です。

元々のお姫様と王子様の名前は出てきません。

お姫様はあくまで眠れる森の美女=眠り姫なのです。

そして産んだ子どもの内、姉がアウローラ(仏語)=オーロラで、これはローマ神話での夜明けの光をもたらす女神の名前です。

弟がジュールであり、これは昼という意味のフランス語です。

眠りは夜や暗さと結びつくと思いますが、その暗さから、その次に明るさがもたらされ、さらに煌々と明るい昼の光が現われてくるイメージです。

人の中に魂レベルの部分が生まれ、それが光明を徐々にもたらしていくイメージとも言えます。

意識の衰退と進化が運命的に繰り返されることを、これから光明に向けて進んでいくわたしたちの無意識にそっと伝えてきているお話なのかも知れません(^-^)
 
 
 

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