地球の岐路を通っていく☆『神の家』
こんにちは、アントレにようこそ☆
最近の流れは、地球の状況が大きな「分岐点」に差し掛かっているものだという話がそこかしこで聞かれます。
そうなのかも知れないと思って見てみると、それに一致することはタロット・カードの中に見出すことができるようです。
パンデミックな状況やその余波の中でみんなが身動きできず、不自由さを感じ、不明瞭な情報で惑わされるのは『悪魔』のカードの様子です。
さらに今は、『悪魔』の前を通り抜けて『神の家』の所に来ているところです。
分岐点がドアとして現れていて、正面玄関のドアともうひとつのドアは隠し扉として描かれています。
『神の家』の扉は小さく、入り口はとても狭いものになっています。
フランス語で<シュミン・デュ・パラディ:天国への道>という表現は「狭い道・隘路(あいろ)」を指します。
真実の姿で通ることになっているため、狭い道なのです。
『戦車』の天幕などの付属品をつけたままでは通れません。
できるだけ粉飾・虚飾のない姿で、向こう側に出るまで執着などを脱ぎ捨てながら通っていく必要があるのです。
『神の家』には2人の人間が描かれていますが、扉は狭く1人用の通路になっています。
誰かを連れて行きたいと執着したり、自分の申し開きのために他者を罪人として連行しようとしたりしても無理です。
「わたしが○○できないのは親が△△だったせい」と他者のせいにした状態では扉は開きません。
「自分の○○の癖・課題を映し出すために、△△の環境の親を選んだようだ」と気づき、自分の責任を担うことで扉は開きます。
左側の人の腕には12本の線と13本の線、黄色の靴の脚には11本の線、赤い靴の脚には14本の線が描かれています。
11の『力』の乙女は性癖の器としてのライオンを制御しています。
12の『吊るし』の人は逆さになり、物事(の原因と結果)を逆に見ています。
13の『ⅩⅢ』は思考を浄化する鎌をもっています。
14の『節制』の天使は慈悲の眼差しをもっています。
他者との関わりの中で抱えてしまった不要な負荷を、見方を変えることによって捨て去り、慈悲の下に自他を許して軽くなりましょう。
なかなか許せなかったら「あれれ、上手くいかなかったね」と一旦笑い飛ばして、許せない思いを抱えた自分を許し、あらためて受け留め、愛しましょう。
そうやって、できるだけシンプルな自分になっていっていたら、いつの間にかあの1人用の狭い道を通っているようだと気づくかも知れません。
「わたしはこのままの人間です。未熟な部分もありますが、このままの自分を受け入れます」という真摯な姿勢でいられたら、次は『星』のカードの領域に足を踏み入れていることになります。
執着や性癖のそぎ落としをする特別なタイミングが来ているともいえます。
今ここから『審判』のラッパが聞こえる領域までのストーリーを秋あたりまで書き続けていきます。
ソフィア