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2021-07-06

旅日記/南仏・タロット探求の旅へ

カモワンタロット講座上級コースを受講するために南フランスへ行く

序文

これは15年前、まだ私がカモワンタロットを学んでいる頃の記録です。
講座の最上位である上級コースは、日本からフランスへ行く必要があり、そこでカモワンタロットのグランドマスターであるフィリップ・カモワン氏が直接、教鞭をとる講座を受講するのです。
私は妻と共に2006年3月にその講座に参加しました。
上級コースは、フィリップ・カモワン氏による全6日間の講座があり、その講座終了後は、プロヴァンス・ラングドックを中心とするタロットゆかりの地を巡るツアーとなっていて、全部で約2週間の日程でした。
現在、この講座は存在しませんが、実に貴重な体験でした。
この記事はその前半の記録です。旅を終えた直後、その当時に書いていたブログに掲載したものです。今回その記事を再編集してここに掲載します。

旅の始まり −初日−

妻と一緒に行く旅は、旅の準備はいつも僕がする。着替え以外は二人で使うものだからだ。一人分を準備するのも二人分を準備するのもたいして変わらない。
昨年も海外旅行へ行ったから必要なものはたいていあるとの思い込みもあって、旅の準備は前日の昼過ぎに始めた。でも、あれもいるこれもいると夜の8時になっても、まだパッケージはまとまらず、近くのスーパーなどにちょこちょこ出かけてはバタバタしている。すっかり終わって、スーツケースに鍵をかけたのは夜の12時近くになっていた。
成田空港集合に合わせて、僕らは福岡から朝一番の飛行機に乗らなければならない。家から空港までは1時間かかるため、朝5時に起きなければならなかった。
それがわかっているのに、まだベッドに入ってもいない。準備を始める前までは、11時ごろには寝たいなと思っていたのに、結局ベッドに入ったのは深夜2時だったか3時だったか。ベッドに入っても旅の前の興奮からかなかなか寝付けなかった。
そんなこんなで旅がスタートしたのだった。福岡空港からは、初級の講座からの同窓生であるMさんと合流。そして成田に着くが、国内線の到着口から、うろうろしたあげく、ターミナルが違っていることに気づき連絡バスに乗って、やっと集合場所あたりへ。
おとといまで一緒に中級の講座を受けていたJさんにも出会い、O先生の顔も見て、どうやらフランスへ行けそうだとようやく一安心。

やっと旅が始まる。

パリのシャルル・ド・ゴール空港までは約13時間。エールフランスの機内と機内サービスはとても充実していて、何本もビデオが見られるだけでなく、テレビゲームまであり、退屈せず、昨夜、ほとんど寝ていないにもかかわらず、あまり眠たくならなかった。やはり興奮していたのだろう。
パリのシャルル・ド・ゴール空港は噂どおり、だだっ広かった。国際線からマルセイユ行きの国内線に移動するのにどんなに歩いただろうか。途中、同行者の勘違いに僕も同じように同調して勘違いし、『出発まで時間がないっ!』と言ってみんなで走ってしまい、もう大変。で、搭乗口についてみると、まだあと1時間あった。
この時点で、現地時間で夕方の5時半。まだパリに居る。
走ったりしたにもかかわらず、出発は30分近く遅れた。そしてようやく出発してマルセイユへ。
マルセイユでは、今回通訳で同行してくれるSさんと初級の講師をしているというYさんとKさんがみんなの到着を待っていてくれた。そして、チャーターしていたバスに乗り、ホテルに向かう。

実は、このときまでホテルはマルセイユ市内にあるのだと思っていたが、そうではなく、マルセイユから約1時間離れた街にあるのだった。
ホテルに着いたのは、夜の11時ごろになっていた。ホテルに着いても、まだ大きな不安があった。同部屋になる相手は男女に分けて、クジで決めるのだということだった。僕らは、他の人たちと違って夫婦での参加なので、まさか別々にされることはないだろうとはいうものの、保障はなかったので、1ヶ月前から二人で心配していた。二人の名前が続けて呼ばれ、部屋の鍵が渡された。二人で顔を見合わせて、小さな声でよかったねーといいながら大きく安堵。そして部屋に行き、中に入って、すっかり解放されたのだった。
とりあえず今日はゆっくり休もう。明日からさっそく講義がはじまるのだ。

写真は、到着したときのホテルと街の様子

ラッキーな朝。そして上級コース講座が始まる

さて、今回の旅は、マルセイユ近くのサン・マキシマンという街のル・ク−ベンロイヤルホテルで6日間の講義を受けるのが一番の目的である。講義の内容は残念ながら、秘伝なのでここに書きつづることは出来ない。フィリップ・カモワン氏の口から語られる話はとても神秘的で、容易にカモワンタロットの奥深さを感じさせ、6日間が過ぎた時、もう時間切れなのかと思ってしまった。この講義を聞きたくて何度も来ている人の気持ちがよくわかる。僕もお金と時間に余裕があったら、また来たいと思う。

2日目の朝、少し早めに起きて、早い時間に朝食をとりに1階のレストランに行く。
昨日は夜遅くに着いたので、ホテルの様子がほとんど分からなかったが、レストランに行くまでの階段や廊下を歩くだけで感動を覚える内観と造りである。ここはマリー・マドレーヌ教会に隣接する、もとは修道院だったところを改修してつくられた4つ星ホテルなのである。


(回廊と中庭)

(ホテル内廊下とレストラン)

 

もとが修道院なので、各部屋の造りは画一的でないらしく、旅が終わる頃に他の参加者から聞いてわかったのだが、同じツインの部屋でも間取りや備え付けの設備が多少違っていたらしい。
食事を取っていると、同席の人が、今日は通りに市場(マルシェ)がでているとの話をしてくれた。朝7時ぐらいから出始めているのだそうだ。時計をみると講義までにまだ1時間ほどあるのでさっそく、ホテルの外へ出て見た。
するとホテルのすぐそばからテントやら移動販売の車がでていて、そこはいかにもフランスのマルシェ。当たり前だが何事も初めてなのでとてもワクワクする。のんびりと眺めながら、散歩を楽しんだ。

 

野菜、魚、ローストチキン(ローストの機械が屋台専用のトラックの荷台で回っている)、靴、衣料品、お花、植木、帽子やアクセサリー、時計などいろんな店が出ている。
はちみつとマルセイユ石けんの屋台を見つけた。シンプルな六角形の石けんが、3ユーロと書いてあるので、少々高いなと思いつつも、じゃ4個買おうと4個を手にすると、『違う違う、6個で3ユーロ』だというのだ。それならすごく安い。
華やかな屋台を堪能して、マドレーヌ教会の前を通ってホテルに帰ろうとしたら、教会の前には、たくさんのかごのトートバックが売っている。フランスらしいとても可愛らしいバックばかりだ。妻がすっかり惹かれて、ひとつ買った。20ユーロだった。

マデレーヌ教会(全景)

そんなこんなで、すっかり初日から、それも講義の前に観光気分を味わったのだった。昨年ここに来た先輩の話だと、一日中講義なので買物など出来る余裕はないよとの話だったのだけど、すごくラッキーだった。
マルシェは、今日の毎水曜日とあと毎日曜日にも出るんじゃなかったかなとの話もあったのだけど、あとで日曜日になってわかったが、結局水曜日だけだったようで、ここでの滞在は6日間、つまり次の水曜にはここにはいない。まだ日曜日があると楽しみにしていたほかの友人たちは残念そうだった。
この日の朝ばかりは、観光気分を味わった数少ないひとときだった。そしてこのお楽しみのあと、講義はみっちりあり、充実していたけれど、丸一日の講義はやはり疲れた。


(講座風景)

聖マドレーヌ教会とマグダラのマリアの聖骨

終日の講義が続いたのち、現地での3日目は、受講生とフィリップ・カモワン氏をはじめ講師たち全員で、マグダラのマリアを訪ねて、隣の聖マドレーヌ教会とサントボームの洞窟へ行った。
念のために説明を加えておくと、マリー・マドレーヌ(Marie-Madeleine(仏))とは、マグダラのマリアのこと。マグダラのマリアを祭った教会としては、パリのマドレーヌ寺院や世界遺産のヴェズレーのマドレーヌ聖堂などが有名である。

午前中の講義の後、全員で隣の建物へ移動し、教会の中へ入った。静かな教会に足を踏み入れたとたん、気持ちがしゅっと引き締まる思いがした。
自分の心が緊張するような感覚。そして、ジーンとしてくる。
フランスに来て最初に入る教会は、どこを見ても目を見張る。ゴシック建築の柱や天井のアーチのフォルムがとても美しい。ゴシック建築のバシリカ教会はプロヴァンス地方ではここが唯一だとのこと。

両側に並んだいくつもの祭壇には、いろんなところに天使が彫られている。それだけでなくマルセイユタロットに描かれた四聖獣や神の祝福など様々な図像が彫られている。
日本ではこれほどまでに彫刻で飾られた教会は見ることができないと思うが、長い歴史のなかの本物のキリスト教文化に向き合っているのだと思った。そしてマルセイユタロットの図像がキリスト教文化に深く根ざしているものなのだと瞬時にわかった。
祭壇の前まで来るとマグダラのマリアの像があった。足元には蛇。カモワンタロットの14の節制に描かれている蛇のように見える。正面の祭壇はとても豪華だ。

ろうそくを買って献灯をする。僕はキリスト教信者ではないが、手を合わせてお祈りをすると心が澄んでいく思いがする。

教会の中央に地下へ下りる階段がある。階段を下りるとそこに、マグダラのマリアの聖骨が納めてあった。金色の胸像にシャレコウベが入っている。

「これがマグダラのマリアなのか」

毎年7月22日にお祭りがあり、この胸像は神輿に乗せられ、街中を練り歩くのだそうだ。
この聖骨は、昔ここから、ヴェズレーのマドレーヌ寺院に移されていたそうだが、近年ここに戻されたのだとのことである。南フランスではマグダラのマリアの信仰は普通のことだ。表向きはローマ教会への建前から聖母マリア像に置き換えられているが、いたるところでマグダラのマリアに出会うことが出来る。でも遠く日本にいるとスタンダードなキリスト教しかわからない。
マグダラのマリアのしゃれこうべをみながら歴史の奥深さを感じ、自分が今ここにいること、自分をここに連れてきた潮流のような何かをからだ全体で感じていた。

マグダラのマリアがこもった洞窟のあるサントボーム山へ

教会をあとにして、バスでサンマキシマムの町からサントボーム山へ向かう。サントボームはマグダラのマリアがこの地に来て40年間こもったといわれる洞窟があるところだ。

田舎道からくねくねした登山道路をバスは登っていく。しばらく右に左に揺られながらそんな山道を登ると広々とした台地のうえの平らな場所に着いた。遠くに断崖が連なる山々が見える。ここがサントボームのふもとだ。

そして、着いたふもとにはサントボーム修道院がある。まずここで昼食をとる。修道院の食堂での食事は珍しものだったが、とてもおいしかった。メインは見たことのない川魚のムニエルのようなもの。他はワイン、サラダ、パン。食後はエスプレッソのコーヒー、数種類のチーズ、メレンゲのデザート。(このデザートはあとで調べてわかったが、ウフ・アラネージュというもので、カスタードソースにふわふわのメレンゲを浮かべたものでとても美味しかった)

昼食を終えていよいよ徒歩でサントボームへ登る。登山道は2つのルートがある。ひとつは少し傾斜がきついが距離が短い「王の道」。もうひとつは、傾斜はゆるいが少々距離が長い「女王の道」である。先生の案内で、行きは「女王の道」でゆっくりと内観しながら登り、帰りは「王の道」で早く帰り着こうということになった。登る前に、聞きたいことを考え、上に登った時にその答えをもらうのだとO先生に教えてもらった。スタートしてしばらくの間そのことを頭の中で考えていた。そして、僕は自分がここへ来た意味を知りたいと考えた。途中何箇所か、十字架のキリストの小さな像が納められた小さな石造りの祠(ほこら)のようなものがあった。お地蔵さんのようなものだろうか。

(※この2年後、フィリップ・カモワン氏が語ったところによると「王の道」はあるが、「女王の道」というものはないとのことだった。おそらく、「王の道」/「女王の道」というのはO先生が、日本の各所にある「男道」/「女道」や「男坂」/「女坂」になぞらえたもののようである)

だいぶ登ったところで、「Silence」と書かれたここからは一言もしゃべってはいけないという看板が立っていた。洞窟が近づいている。それまでは、少し話もして楽しみながら登っていたが、みんなの間にも軽い緊張が漂う。ここからは心静かにして、一緒のみんなも押し黙って歩いた。

洞窟の周囲の断崖に張り付いた石造りの建物が間近に見えてきた。道は土の坂道から石段に変わった。
石段を登っていくと門があり、門の向こうにキリストの磔刑の様子を再現してあり、中央の十字架にキリスト、それにすがる女性、これがマグダラのマリアだろう。そして両側にも十字架に架けられた人の像が作られていた。

その様子を見ながら先を見ると小さな広場があり、洞窟には壁が作られ、ドアがあった。ここは洞窟がそのまま教会になっているのだ。
中央のドアを開け、中に入ると祭壇があり、その前には長いすが並べられていた。入って中をぐるりと見渡す。とうとう来たのだ。ここがサントボームの洞窟。またしても一瞬にして心が引き締まる。誰とも言葉を交わさず、妻とだけ目を合わせると、いすに座って祭壇に向かい、お祈りをした。ここに登ってくる前に考えた質問の答えをもらうのだ。心を静かにしていると、頭の中に次から次へと言葉があふれてきた。自分に大切で必要なことで忘れかけていたことを思い出させてくれた。ここに来た意味を明確に教えてくれたのだった。言葉を胸に刻みながら、長い間祭壇の前に座っていた。閉じていた目を開けたとき、すごく心が洗われたようで、すがすがしい気持ちで静かに立ち上がったのだった。とても神秘的な体験だった。


(入口の上にあったマグダラのマリアを描いた美しいステンドグラス)

月のカードのモチーフといわれるサン・ヴィクトル寺院へ行く

6日間の講義が終わった。講義最終日の夜、フィリップ・カモワン氏から修了証をもらう授与式があり、上級コースの講座が修了した。

そして、翌日、荷物をまとめ、サン・マキシマンのホテルに別れを告げ、マルセイユ市内へと出かけた。マルセイユは、その名の通り、マルセイユタロット発祥の地。楽しみな場所がいくつもある。マルセイユへ向かう途中、エクス・アン・プロヴァンスの町に寄り、この辺りでは有名だという大きなロータリーの真ん中にある噴水を見学する。中央の柱にぐるりと彫られた魚の姿は、小アルカナのカードに描かれたイルカのようだ。

短い見学のあと、マルセイユへ。マルセイユに近づくにつれて、高速道路の正面に、街の中央の丘の頂上にそびえるひときわ大きな教会が見えてきた。
ノートルダム・ド・ラ・ガルド聖堂だ。塔の上には金色のマリアの像がたっている。

市内に入り、丘の頂上のノートルダム・ド・ラ・ガルド聖堂に向かう前に、その少し下にあるサン・ヴィクトル寺院へ行く。この旅行で一番楽しみにしていた場所だ。ここの建物の2つの塔が、タロットの月のカードに描かれている建物だといわれているのだ。そして同時にカードに描かれた四角い水面は、サン・ヴィクトル寺院の前に広がるマルセイユの旧港なのである。サン・ヴィクトル寺院の前にバスが到着する。大きくそびえる2つの塔。そして、少し高台にあるこの場所から四角い旧港を見ることができた。すごく感激。
サン・ヴィクトル寺院は、石造りのいかにも堅牢なつくりで柱の彫刻のフォルムは美しいが装飾はとても簡素だ。

そして、普通の観光客は入らない地下聖堂へ入れてもらう。私たちはこの地下聖堂に入ることのほうに大きな意味があるのだ。ここには黒いマリアが祭られているのである。
黒いマリアは公開する日が決まっているので、彫像にはベールがかけられていて見ることはできなかったが、その場所にきたという感動で胸がいっぱいになった。
(※黒いマリアについてはあらためて記述したいと思う)

サン・ヴィクトル寺院のあと、ノートルダム・ド・ラ・ガルド聖堂を見学し、そしてマルセイユを一望できるその場所からの景色を堪能した後は、市街へ向かい、タロット博物館を見学した。ここはかつてカモワン家の印刷工房だった場所で、今は博物館となっており、版木などが展示されている。私達が行った時は、サントマリー・ド・ラ・メールに漂着したマグダラのマリアを描いた絵の特別展示をしていた。実はここで、フィリップ・カモワンのお母さんにもお会いしたのだった。

ここで、カモワンタロットに関連する貴重な資料が掲載された図集を購入した。帰国後調べたが、この書籍は他では入手できないものだった。フランス語版ではあるが、貴重な一冊である。これには、カモワン家が所有する、他で見ることのできない鮮やかなコンヴェル版などが掲載されている。
その後私たちは、一軒のスピリチュアル専門の書店に行き、日本ではお目にかかることのない数々のスピリチュアルグッズを見て回った。私は、ここでコンヴェル版のタロットとグリモー版のタロットを購入した。店主から「このカードはいいカードではない。(カモワン版を指して)こっちがいいカードだ」と言われたが、僕の横にフィリップ・カモワン氏が立っていたから精一杯のお世辞だったのだろう。
マルセイユ市内の見学はこれで終り。マルセイユ空港まで行き、前半コースだけの参加者とはこれでお別れ。そして私たちは次の街へと向かった。

(このあと僕たちは、後半コースとして、7日間のプロヴァンス・ラングドック地方のタロットにゆかりのある地をバスで訪れるツアーに参加した)

編集後記

この旅日記では「マグダラのマリア」のことが頻繁にでてきます。
なぜ「マグダラのマリア」なのか。
南仏とマグダラのマリアの深い関係。そして、マルセイユタロットとの関連。
これには重要な意味があります。
それは実は秘伝であり、講座の中でお話しする内容となっています。

後半コースでは、アルルのサントロフィム教会、アヴィニョンの教皇庁、モンペリエの聖ロック教会、サント・マリー・ド・ラ・メールというマグダラのマリアがパレスチナからプロヴァヴァンスに漂着した海岸、ダヴィンチコードが書かれる前に話題となったレンヌ・ル・シャトー、カタリ派との関連が深い中世都市ミネルヴ、歴史的城塞都市カルカソンヌなどを巡った後、いったんパリへ。パリから列車でシャルトル大聖堂へ。シャルトル大聖堂にも黒いマリアが祭られているとのことでしたが残念ながら、ここの地下聖堂には入れませんでした。パリ市内では、パリの聖ロック教会、マドレーヌ寺院、ノートルダム寺院などを巡りました。もちろん、エッフェル塔や凱旋門、コンコルド広場などの観光も。この後半コースはあらためて記事にしたいと思います。

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