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2024-05-27

内なる言葉・外なる言葉に向き合う☆真実の姿

こんにちは。ソフィアです。

アントレへ、ようこそ☆

人生の中で人の姿に感動することがありますが、後々まであなたの記憶に残るのはどんな姿でしょうか。

それを振り返ると自分に必要なものを発見できるかも知れません。

わたしソフィアでいうと、アニメーター・漫画家の宮崎駿監督の姿が記憶に残っています。

ご子息の宮崎吾郎監督の映画作品についての取材映像でのことです。

吾郎監督の作ったフィルムを見るのは嫌だといい、その理由について、自分の息子であるとかいうことよりも、と言いかけて言葉を止め、

「自分の息子だから嫌だよ」

と言い直すシーンがありました。

慣用句的な言い回しという形でさえ嘘をつきたくない人なんだなと思いました。

わたしは言葉に対してあんなにしっかり向き合えていない気がします。

軋轢が生じそうな場合や言葉を尽くすには時間がかかると思う場合に、つい言葉を丸めてしまうことがあります。

難しい場合には「なんて言えばいいか分からない」と伝えることもできるはずなんですけどね。

そういうときの心の動きを思い返してみると、単に波風を立てたくないときだけでなく、「自分がしゃべるのを受け止めてもらえない」という思いがあることに気づきました。

そういうときは、まずは自分が自分の心と向かい合い、寄り添う時間をもつことが必要かも知れません。

自分が自分の思いを受け止める時間をなおざりにしているために、他者にそれを投影しているだけかも知れません。

このカードは『吊るし』です。

逆さになった人が手を後ろに隠している様子を表しています。

このカードが問題カードとして出る場合、この人は他人に隠すだけではなく、自分自身にも隠し事をしているおそれがあります。

(正立で出る場合には隠すことが悪いことではありません)

このカードは『審判』です。

上では天使が聖なる音を響かせ、下では人が枠から立ち上がって天使を見たり、聞いたりしています。

下の人たちは裸です。

身も心も隠すことがない状態のようです。

この2枚のカードたちには四角い枠のようなものが共通しています。

それが真実の生き方をしたいときの気づきのヒントになります。

四角い枠を自分の枠と解釈してみると、

『吊るし』では、自分のもつ「癖・パターン」をよく観察し、「ああ、〇〇な風に思い込んでいたな」と客観的なれたら、一歩真実の生き方に近づいています。

『審判』では、自分を封じていた「癖・パターン」から外れて、「真実の生き方ならこうだと思う」という方へと立ち上がっていくことになります。

パターンをやめてみて、真実へと歩みを進めると、自分の中の「天」の部分であるハイヤーセルフとの繋がりが強まります。

充分に繋がりが強まると、意識的か無意識的かはさまざまですが、魂の計画に基づく役割「コーリング・使命」へと進むことになります。

宮崎駿監督はまさにそういう人ですね(^-^)

タロットにはたくさんの知恵が描き込まれています。

タロットは、シンボルとその中に伝わる知恵によって、人をコーリングへと導くための天からの授かりものです。

ソフィア

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